『おひとり様のふたり暮らし』 『おひとり様のふたり暮らし』(イースト・プレス)は、著者でイラストレーターである「スタジオクゥ」のひよささんとうにささん、独身女性ふたりの同居生活を描いたコミックエッセイです。おふたりが20代後半の頃、当時住んでいた東京都・八王子の安アパートから一生出られないかも!と危機感を抱き、ふたりで暮らせばもっと良い家に住めると、勢いでルームシェアを始め、気づけば40代後半に突入。 その暮らしぶりは、今流行りのルームシェアやシェアハウスのような一時的なものではなく、お互いの家族とも付きあい、老後のことまで見据えたどっしりとしたものです。 たくさん働いているけれど、稼いでいるわけではない。結婚する相手も見つからないし、これからひとりで生きていくのかな……?そんな不安を抱える女性にとって、ひょっとしたら友人同士のふたり暮らしは、ひとつの明るい希望かもしれません。でも、女ふたりで本当にうまくいくの?コミックの中では部屋割り、家事の分担、お金の管理などの実践的なお話がたくさん詰め込まれているので、著書に書ききれなかった、気になるエピソードを聞きました。 美大の同級生で人とシェアするのが当たり前――ふたり暮らしを始めたきっかけを教えてください。 ひよさ:私たちは美大の同級生の同じ科で、同じ科に60人くらいしかいなかったので、みんなすごく仲が良かったんです。校内のアトリエにみんな集まっちゃうので、大体毎日顔を会わせるし、田舎で遊びに行く場所もないので、いつも誰かの家で飲む感じでした。 うにさ:東京というよりもほとんど山梨で、ほかに行くところもないぐらいの田舎だったんですよ。それで、人の家で飲んだり、人の家で制作したりということが当たり前で、それが自分の家になったり、隣の家になったり。田舎なので家賃も安くて、私が住んでいた長家は、6畳、3畳、台所、お風呂が外で3万4,000円という当時としても破格の値段でしたが、それでも八王子のくせに高いと思っていた(笑)。そのせいで、家賃設定が非常に低くなってしまって、都心に引っ越せる気がしなかったんです。 ひよさ:うにさと仲良くなったのは、その長屋に別の同級生も住んでいて、そこに私が1か月ぐらい転がり込んでいたことがあって、そしたら、毎晩のようにうにさがその家にご飯を食べに来て、そうこうしてるうちに仲が良くなったんです。その後、わたしの駅近の古いアパートを“駅前旅館”と呼んで、うにさが入り浸るようになって、そんな風にお互いの家を行き来する中で、共同生活に慣れちゃったというか、下地ができちゃったんですよね。 うにさ:美大出身者の特徴かもしれないんですが、スペースが必要ということがあるので、お金もないし、人とシェアせざるを得ない。それが当たり前にある環境にあったとは思います。 6年くらい断り続けた後に同居――いつ頃から同居を始めたんですか? うにさ:正式には2001年からですね。 それ以前からコンビのイラストレーターとして活動はしていたんですが、その一方で私は会社員のような感じでも働いていたので、仕事が終わったら、ひよさの家に行って打ち合わせして、遅いから泊まるわという時期が続いて、私が半ば居候状態だったんです。 ひよさ:一緒に部屋を借りる?と何回か誘われていたんですけど、同居は嫌だったんですよ(笑)。しょっちゅう喧嘩するので、喧嘩した時に「帰れ!」のひと言が言えなくなるのが嫌で。仕事で一緒にいる必要もあるし、一緒にいると楽しいんだけれども、切り札を捨てたくなくて、6年くらい断り続けていました。 うにさ:その感じが未だにずっと残っていて、私、家主感が薄いんです。その頃の関係性、ひよさに対する“家主様”みたいな雰囲気がいまだに残っており、それがうまくいってる秘訣のような気もする。 『おひとり様のふたり暮らし』より 体を壊した時、そばにいてくれて良かった――そんな期間があったんですね。ひよささんがふたり暮らししてもいいかと思った決め手はあるんですか? ひよさ:20代後半に婦人病をわずらって、体を壊したんです。貧血を起こして、その時にうにさがちょうど家にいてくれたんです。今思い出すと、すっごいおもしろいんですけど、私よりもうにさがパニックを起こして、緊急で何かをしなければいけないと思って、貧血用の増血剤「マスチゲン」を買ってきたり、何か食べさせなきゃと思ったらしく、急に台所で肉じゃがをガーッと作り始めたり。マスチゲンでもない!肉じゃがじゃない!とにかく救急車を呼んでくれ!と叫んで、救急車を呼んでもらったんですけど(笑)。 うにさ:その話をすると、すごい有益なことをしているのに、すごいバカみたいなことをしているみたい。私は処置室の前で泣いてたのに。 ひよさ:それは後になって、聞いたんですけど、実家に連絡してくれたり、仕事のことで必要なところに連絡してくれたり、全部やってくれていたんです。あの時に人がいなくて、もしも発見してもらってなかったら、結構恐いことになってたかもなと思いますよね。家に人がいる良さは6年の間にわかってはいたんだけれど、ひとりでいたい気分で押し切ってたのが、もう一緒に暮らしたほうがいいかもね、と心が動くきっかけになったと思います。 うにさ:20代後半は私も体調が悪い時期があって、パニック症のような症状が出たり、胃腸もすごく悪くて、ひとりでいられないみたいな時期もちょっとあったんです。その時もいてくれて良かったなというのはありましたね。 ひよさ:女性の場合、体調がガクッとひとつ変わる時期があって、体調が悪くなると、自分に自信が持てなくなったり、生活が不安になったりしますよね。だから、ちょっと助けてくれる人がいるだけで、すごく安心できるんじゃないかな。 結婚でふたり暮らしが3人や4人になることもある――20代後半というと、体の変化のほかに、彼氏や結婚のお話は出てきませんでしたか? うにさ:その頃どう? ひよさ:付き合っている人はいましたよ。でも、全然気にしてなかったですね。それはそれ、これはこれみたいな感じで。同居を始めた頃は、彼は留学してたのかな。人のことだからあまり覚えてない(笑)。 うにさ:お嫁にいく検討とかしなかったの? 私も何にも聞かなかったけど。 ひよさ:自分にやりたいことがあって、相手もやろうとしている途中だったので、結婚は考えてなかったね。 うにさ:私たち仕事ばっかりしていて、生活の9割ぐらいが仕事だったんです。結婚については考えたことがないです。でも、同居の3人目が誰になるかって話は、よくしますよ。 ひよさ:3人目が友人であるかもしれないし、どちらかが今後結婚する相手ということもありえると思うんです。先のことはわからないことも多いけど、結婚も含めて、ふたり暮らしが3人になることも4人になることもあると思っています。いずれにしても、今の暮らしが大事だということが大前提ですけどね。 >>【後編はこちら】「互いの両親を2人で見るのもアリ」 女のふたり暮らしで実現する、楽しい老後生活 |