第3回 軽い風邪を引いた時「付き添うか、付き添わないか」 普段は『ひとり暮らし』になんら不自由を感じていないとしても、体調を崩した時だけは、不安になったり不便を覚える人も多いことと思います。薬がない、飲み物がない、食べ物がない、そんな場合、ちょっとした風邪くらいならば、近くのコンビニや薬局やスーパーに自分で買いに行くこともできますが、ノロウイルスにやられて下からも上からも垂れ流し状態だったり、インフルエンザで起き上がることさえシンドく、外出そのものがままならないという状態に陥ることもあるわけで、近くに住んでいる友人が頼りになればいいものの、そんな友達もいない、という場合は、もうニッチもサッチも行きません。 それが『ふたり暮らし』ならば、とりあえずは安心です。薬や食べ物の心配は必要ありませんし、病院やトイレに行くにも介護を頼めます……と思いきや、「病気の時に、相手にどこまで求めるか、どこまで求められるか」は、人それぞれ。ゆえに、喧嘩の火種となることもあります。 看病はすべからくありがたいわけではない例えば、わたしがかつてお付き合いしていた男性は、体調が悪い時は、側に付き添っていて欲しい“看病派”の人でした。もちろん高熱や症状がどうにも酷いようであれば、付きっきりで看病することも厭いませんが、あろうことか、365日中360日くらいは「体調が悪い」と漏らしている慢性プチ病人。しかし、「体調が悪いのがデフォルトだから、それはもはや平常」と判断し、ひとりで遊びに行こうとすると、「具合が悪いのに、冷たい人ですね」と、まるでわたしが人の道に外れた人間のような物言いをするのです。 確かにたまにだろうが、毎日であろうが、「具合が悪い」状態の恋人を置いて、ひとりでわざわざ行列のできる有名店のラーメンを食べに行ったり、映画を見に行ったり、友達の誕生会に行ったりするのは「冷たい」と言われる行為かもしれません。けれど、病院に行くほどの病状でもない人に付き合って、せっかくの休日や週末の夜をまるまる犠牲にするのは、勿体ないというのも本音です。 しかし、「病人には優しくし、看病するもの」という考えの持ち主は、裏を返せば、こちらが病人の時は優しく看病してくれる、ということでもあります。いつだったか軽い風邪を引いて寝込んでいた際、恋人がスーパーでたらふく食材を買い込んで、わたしのリクエストである鍋焼きうどんを作ってくれたことがありました。が、結論としては、「看病はすべからくありがたいわけではない」ということを思い知ることとなりました。 看病されて逆に迷惑だった病気をした時というのは我儘になりがちです。わたしがその時、とにかく食べたかったのは、真っ黒い甘じょっぱいツユの中に、煮込んでぐずぐずになった天ぷらと半熟卵の入った関東風鍋焼きうどんだったのですが、彼が作ってくれたのは、タラと海老の入った透明なツユの関西風でした。しかも「朝から何も食べてなくて、お腹がぺこぺこに空いている」と言っているにも関わらず、味見からの味見、また味見、でなかなか出してくれない。食べ物の恨みというのは恐ろしいもので、「味見しすぎてお腹いっぱいになっちゃったなぁ」と目の前で呟かれ「それはむしろ嫌がらせですか!?」という考えが頭をよぎったことを、今でもはっきりと覚えています。これならひとりでコンビニで好きな食べ物を買って、さっさと食べて寝ていたほうが何倍も楽、看病されて逆に迷惑だった、という苦い思い出です。 そもそも、恐らくは、わたしは病気の時に関しては、かなり“ひとりでいい派”です。むろん、体調にも寄りますが、例えば熱が38度あるかないかの風邪ならば、基本的には、枕元に薬とポカリ、冷蔵庫の中に、コンロの火に掛けるだけでできるアルミに入った冷凍のうどんと、プリンを用意して、家の用事をすべて済ませてくれた後ならば、一緒に暮らしているパートナーが飲みに出掛けても気にはしません。 なにをもって愛情とするかしかし、世の中には、“看病派”が少なからず存在することも、頭ではわかっています。むしろこちらがマジョリティーでしょう。そういう相手が恋人ならば、できるだけその期待には応えようとは思いますが、おそらくは態度に「大人なんだから、ひとりで大丈夫でしょ」という本音が滲み出てしまっている気もします。「体調が悪いんだから、そばにいる」のが当たり前の“看病派”は、漏れ出るその本音が気に食わない。「病気の時くらいは、少しは優しく看病してよ!」と不満を抱く。これでは、平行線をたどるばかりです。 このふたつ、“ひとりでいい派”と“看病して欲しい派”の中間くらいには「できれば、家にいて欲しい。けれど、看病ではなく、実務をしていて欲しい。用事がある時以外は静かにしていて欲しい」という人々もいます。これを“呼べば来れる距離にいて派”と呼びましょうか。 これらの3タイプを“愛情深さ”という観点から見ると、看病派>呼べば来れる距離にいて派>ひとりでいい派、に思えます。が、“ひとりでいい派”を代表して(とくに)“看病派”に言いたいのは、「相手への愛情が薄いから看病をしない」というわけではないので安心してください、ということ。ただ、自分が看病を必要としないため、「看病して欲しい」という気持ちが頭では理解できても、「こっちにも予定していたことや、やりたいことがあるわけで、それをわかってくれないか」という思いを拭えないわけです。そんな“ひとりでいい派”にとっては「自由にさせてくれることが、相手の愛情」でもある。そう考えると、「看病するか、しないか」は、「なにをもって愛情とするか」の愛の価値観、そして、「どちらがより多く、相手に愛情を受けるのか、注ぐのか」の綱引きが根底にあるゆえに、揉める原因となるのではないでしょうか。 |