映画『はなちゃんのみそ汁』は、がんでこの世を去った安武千恵さん(享年33)とご主人の信吾さんが綴ったエッセイの映画化です。エッセイはベストセラーになり、すでにドラマ化もされていたのでご存じの方は多いでしょう。 乳がんを発症してから、結婚、出産、育児を夫婦で乗り越えてきた千恵さんと信吾さん。そして愛娘のはなちゃん。映画『はなちゃんのみそ汁』には、千恵さんと信吾さんの出会いから、乳がんを発病し、そのがんと向き合い、決して逃げることなく闘った千恵さんの強い意志が描かれています。それと同時に、千恵さんを支える安武信吾さんや周囲の人々の温かさや、小さなはなちゃんの存在が安武夫妻の生きる希望になっていたことも、映画には描かれています。 そこで、がんと闘う家族と寄り添って生きることについて、この映画の原作者であり、千恵さんのご主人である安武信吾さんに話を聞いてきました。 プロデューサーの熱意でブログをドラマ・映画化――安武千恵さんが綴ってきた個人ブログにご主人の信吾さんが加筆されたエッセイ『はなちゃんのみそ汁』が、映画化という大きなプロジェクトに発展していくことについて、安武さんはどうお考えでしたか? 安武信吾さん(以下、安武):『はなちゃんのみそ汁』(文春文庫)は、千恵のブログ(「早寝早起き玄米生活〜がんとムスメと、時々、旦那」)に僕が加筆していったノンフィクションなのですが、あの頃は千恵が亡くなってから、それほど時間もたっていなかったので心の整理ができていなくて、ブログを読み返しては、ひいひいと泣きながら書いていました。編集担当者の方の助言がとても励ましになり、その方と二人三脚で作り上げた本でもあります。僕自身は本を出版して終わりと思っていましたので、最初はドラマ化や映画化の依頼がきたときは、お断りしていました。 そんなとき、この映画の企画者でもある村岡プロデューサーと自宅近くの飲食店で偶然出会ったのです。彼は、映画『ペコロスの母に会いにいく』のプロデューサーでもあるのですが、出会って1年後くらいに「僕に映画を作らせてください」と言われました。村岡さんは「この映画をはなちゃんの嫁入り道具にしたい。私のお母さんは、こんなに素敵な人だったんだ、と思ってくれるような映画を作ります」と言われて、僕は「お願いします」と承諾しました。それって、僕が本を書いた動機と同じだったんです。 安武信吾さん ――「はなちゃんのみそ汁」はドラマ化もされていますよね。 安武:これもプロデューサーが熱心な方で、はるばる東京から福岡へ何度も来てくださったんです。このときのドラマ企画化の件が、思わぬ方向に進み、想定してなかった「24時間テレビ」で放映されたドラマ化に繋がっていきました。 なぜ、僕が断ってきたドラマや映画を進める気持ちになったかというと、決め手は人なんですよ。どんなに相手が大きな会社であっても、僕は顔が見えない関係のまま、事を進めていくことが苦手なんです。企画書がポーンと送られてきただけでは、互いの信頼関係は築けません。「この人と一緒に仕事がしたい」。そう思える人と出会ったことが大きかったような気がします。信頼できる人と仕事したいのです。村岡プロデューサーと阿久根知昭監督も、僕の話をよく聞いてくれて、本当に信頼できる方たちだったので、安心してお任せすることができました。脚本作りの際も、僕と千恵の想いを誠実に反映してくれていましたね。 映画『はなちゃんのみそ汁』より 妻の「死」を理解できなかった5歳の娘――完成した映画をご覧になった感想は? 安武:自分の話とは思えないくらい泣いてしまいました。千恵の生き写しみたいな場面がいくつかあって、千恵のひとこと、ひとことを、娘に映像として残していけるのだと思いました。自分が「はなちゃんのみそ汁」という本を出版して、娘に残したいという想いと映画が一致していたので、本当に感謝しています。娘はこの映画を見た後、地元のテレビ局の取材を受け、「お母さんに会いたくなりました」と答えました。これまで、そんなこと言ったことなかったのに、そう言ったあと涙をポロポロ流して声を上げて泣いてしまって……。たぶん、千恵のことを思い出したのだと思います。 千恵が亡くなったのは、娘が5歳のときですから、あの頃はまだ、「死」がどういうことなのか、理解できてなかった。これまで、思い出したくても思い出せなかったのです。でも映画を見て、心の深いところにあった千恵との思い出が、はなの心の中から引きだされ、無性に会いたくなったのでしょう。 映画『はなちゃんのみそ汁』より がんになると婚約解消や離婚という現実も――安武さんは、千恵さんを支え続けてきましたが、同じように家族や恋人ががんで苦しんでいる、助けたいという思いを抱きつつ、どうしたらいいのかわからないという方も多いと思います。そんな人たちに安武さんはどんな言葉をかけてあげますか? 安武:北斗晶さんのご主人の佐々木健介さんが、北斗さんの乳がんが発病したあとの会見で「我慢せずに泣いてほしい。一緒に苦しんで生きていきたい」とおっしゃったんですね。僕はそれを聞いて、千恵の闘病生活を思い出しました。千恵はがん患者さんとメールのやりとりをしていたのですが、その中には、がんになったことで婚約を解消されてしまった方、がんになって夫の協力が得られずに離婚した方などがいて、千恵は怒っていたのです。ブログに「そもそも、がんが理由で相手を突き放すような人とは人生を一緒に乗り越えていくことなんてできないと思う。がんは一例であって、人生には、他にも多くの困難が待ち受けているからだ。それに、がんを一緒に乗り越えてきたからこそ、今までやってこれた。『がん様様』なのである」と書いていました。 ――一番苦しいのは患者さんなのに、突き放すような人とはうまくやっていけるわけがないと……。だからこそ佐々木健介さんの言葉が心に染み入るのですね。 安武:健介さんの「一緒に苦しんでいきたい」という想いが患者さんの勇気になり、支える力になるのです。あと、僕にできることは何だろう、と考え、明るい雰囲気を作り出すことを心がけました。笑えるDVDを一緒に見たりしていましたね。やはり「笑い」がなくなると家の中の雰囲気が重くなってしまうので。がんのことを「ポン」と言い換えたりしてね。たくさんゲラゲラ笑って。「がんの治療薬には何が効果的か」というような医療の話はあまりしませんでした。情報はいろいろありますが、体の声に耳を傾けつつ、自分たちはそのときの治療法を信じてやっていこうと。気を付けていたのは体温を下げないこと。体温が下がると免疫力も下がってしまうので、体重が減らないように、栄養をちゃんと摂取して、早寝早起きをするなど、睡眠も十分とって、自然に逆らわない生き方を実践しました。そういう当たり前のことをしていました。 映画『はなちゃんのみそ汁』より がん患者は「特別扱い」が辛い――映画を見て、安武さんのお話を聞いていると、病気だからと特別扱いをせず、普通に健康的な生活を一緒に送ることが大切なのかなと思いました。 安武:そうですね。過剰に気を遣われたり、特別扱いをされることで、患者が落ち込んだり、傷ついたりする場合があることを家族やパートナーは知っておいたほうがいいかもしれません。映画で、千恵から僕宛に来たメールに「再発」とひとこと書かれていて、僕を演じる滝藤賢一さんがショックを受けるシーンがありますが、これ本当は「再発しました。私は普通でいます。あなたも普通でいてください」と書いてあったんです。普通に接してほしいんですよ、がん患者さんは。それに、自分の病気が原因で家族の悲しむ顔を見るのも辛いと思います。 ――普通の生活がどんなにかけがえのないものかが、この映画を見るとよくわかります。 安武:若くて健康なときは気づきにくいものですが、映画を見て、ありふれた日常の中の幸せを感じてもらえれば、と思います。家族と一緒に散歩をしたり、愛する人のために料理を作ったり。千恵は33歳で亡くなりましたが、25歳からの8年、手のひらの中にある小さな幸福をかみしめていました。ある統計によると、男って生き物は、どうしても仕事ばかりに生きがいを見いだしてしまって、老いたときに、もっと家族の時間を大切にすればよかったと後悔するらしいのですが……。千恵役の広末涼子さんが映画の中で、新聞を読む夫とお絵描きをする娘を眺めながら、つぶやく場面があります。「いいね?。なんか、ふつう」。そこに幸せの本質があるのではないかと思います。
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