斉藤暁さん 1970年代以降、日本における不登校生徒の数は、増加の一途を辿ってきました。2014年7月、文部科学省は不登校生徒に関する追跡調査を発表。2006年に中学校3学年に在籍し、調査当時20歳をむかえる不登校経験者約4万1,000人のうち、約1,600人を対象とした同調査では、不登校を経験した若者がいまの心境などについて回答しています。 不登校当時を振り返ったコメントのなかには、「ちゃんと行っておけばよかった。嫌なことがあっても場に慣れ、勉強しておきたかったな」「対人関係の経験が乏しく、未熟な自分は、学力面でも遅れ、一般知識に乏しい点が悔やまれる」という否定的な声があがる一方、「あのまま行っていたら今の自分はなかった。むしろよかった」「同じ経験をしている人の気持ちを理解できる。人の弱い部分にデリケートに関わっていけるようになった」という肯定的な意見もみられました。 教育格差などが叫ばれる昨今。移りゆく時代とともに「不登校」を取り巻く環境は、どのように変化しているのでしょうか。不登校の生徒や高校中退者、学業不振など様々な諸問題を抱える生徒の受け入れを行っている「中央高等学院」の斉藤暁副学院長に話を聞きました。 幼い頃からコミュニケーション力が育ちにくい社会――不登校になる理由は、時代によって変化しているという印象はありますか? 斉藤暁さん(以下、斉藤):不登校と聞くと、30代以上の世代は「登校拒否」というイメージが強いと思います。ただ、近年の不登校は、「人間関係の問題で学校に行けない」、「サボって学校に行かない」等々、学校に行かなくなる理由が、以前より多様化していると感じますね。 ――それはなぜでしょうか? 斉藤:大きな要因のひとつには、コミュニケーション能力の低下が挙げられると思います。学校や家庭を含めた地域社会の風情と言いますか、人情味が薄れていることがひとつ。たとえば、近所付き合いや地域社会とのつながりって、昔に比べると希薄になっていますよね。親も共働きで忙しかったりすると、そうしたお付き合いもしにくくなっていたりして、幼い頃から身近な人たちとのコミュニケーション力というものが育ちにくいのかもしれません。 対面的なコミュニケーションに苦手意識を持つようになると、ネットの世界に走りがちだったりもします。ただ、ネットのなかでは、無責任な発言をしても怒ってくれる人もいないし、生きていくうえで大切なことを親身になって教えてくれる人はいない。そうすると、ますます現実世界のなかで人とどう接していいか分からなくなり、学校に行ってもストレスを感じるだけなので、通いたくなくなってしまうわけです。 ――中央高等学院にはそうしたお子さんも、たくさん通っていらっしゃると思います。どのように接しているのでしょうか? 斉藤:生徒を迎えるにあたって大事にしているのは、子どもを温かく受け入れてあげるということ。いわゆる“母性”ですね。僕の持論ではあるんですが、家庭や地域社会そして学校も、この母性が必要だと思っているんです。ただ、とくに最近の学校には母性がない。昔ってものすごくよく面倒をみてくれた先生っていましたよね。そういう先生が少なくなってきています。これには色々な原因が考えられるのですが、仕事として割り切っている先生が増えてきているのは確かですね。 親が「なんで勝手に残して勉強を教えるのか」とクレーム――親身な先生が減ってきているということでしょうか? 斉藤:そうですね。たとえば、実際にあったエピソードですが、勉強がわからなくて困っている子がいて、担任の先生が「教えてあげるから、放課後に職員室まできなさい」と言って個別で教えてあげたと。すると、その後すぐ親から電話がかかってきて、「なんで勝手に残して勉強を教えるんですか、頼んでないでしょ」というクレームが入ったんです。 これはひとつの事例ですが、親自身の価値観も様変わりしているので、先生たちも必要以上のことをやらない。そんなわけで、子どもたちに対する道徳観や倫理観、教養を高める教育というものが、公共のなかで行われにくくなってきているんだと思います。 ――教育現場における母性というのは、具体的にどのようなものでしょうか? 斉藤:まずは、できないことを責めないということですね。たとえば、勉強が嫌いで学校に行きたくないという子も少なからずいます。本当は勉強って楽しいものなんですよね。「1+1は2!」みたいな、分かることの達成感って誰にでもあるはずなんです。学んだことが理解できれば、どんどん自信に繋がっていく。でも、学んだことが分からなくなっていくと、一気に達成感が得られなくなり、自信も減っていき、そこで時間が止まっちゃうんですね。そこからは、苦手な科目というのが自分のなかで選別されていって、立ち向かおうとしても心が動かなくなってしまいます。 なかには、高校生でもアルファベットが書けない子がいます。でも、高校英語の授業では、できて当たり前という雰囲気なので、恥ずかしくて書けないとは言えないんですよ。教えて欲しいのに、誰も助けてくれない。なので、自信を取り戻してあげるためにも、どこでつまずいているのかを教師がちゃんと見てあげて教えてあげる、そして一人ひとりに向き合っていく、それが“母性”の教育にあたると思います。 授業の様子 家族や周囲があきらめずに根気強く働きかける――不登校になることで、将来的にどのようなハンデを負うことになると思われますか? 斉藤:やはり社会生活全般に弊害が出てしまうと思います。大人に一番求められること、それは“自主性”です。何をするにしても、全部自己責任ですよね。でも学校に通わなくなることで、その自主性が育まれる機会を失ってしまいますし、集団生活への適応も難しくなってしまいます。 ――不登校や引きこもりだった過去というのは、あまり好意的には受け止められない風潮があると思うのですが、それに関してはどのように感じますか? 斉藤:それは、事実としてあることですし、無くなることもないと思います。ただ、不登校になってしまった理由や過去を掘り下げたところで仕方がありません。中央高等学院の卒業生もそうなんですけど、不登校だった過去を感じさせないような、前向きなエネルギーを持たせてあげるべきですね。 ――不登校から脱却するにはどんなきっかけや、周囲の働き掛けが必要でしょうか? 斉藤:大人に対する不信感というのも大きいケースがほとんどなので、信頼関係を回復するためにも放っておかないということですね。本人は不登校を負い目に感じてしまい、自分の殻に閉じこもってしまうので、周囲は遠慮してしまうかもしれませんが、そのまま何もしないと手遅れになってしまいます。そうならないためにも、まずは家族や周囲があきらめずに根気強く働きかけることが大切です。 根性論になってしまうとなんか古臭くてダサいイメージがあると思いますが、空いてしまった穴を埋めなければ前には進めません。転校することもひとつの手段ですし、「一歩でも半歩でも歩みを進めよう」という想いを伝え続けて欲しいです。 |