“歌舞伎町No.1嬢王”として男性のみならず、『小悪魔ageha』専属モデルとして、女性からも支持されているカリスマキャバ嬢、愛沢えみりさん。そんな彼女が、キャバ嬢を一段落させて、立ち上げたアパレルブランド「Emiria Wiz」が、月商1億5,000万円を達成しました。 彼女がキャバクラから学んだ仕事術、成功するためにしたこととは一体なんだったのでしょうか。 そんな疑問に答えてくれるのが、この度上梓した『キャバ嬢社長 歌舞伎町No.1嬢王 愛沢えみりとしての生き方』(主婦の友インフォス情報社)です。こちらを元に愛沢さんの仕事に対する想い、彼女にとって「キャバクラとは何か」に迫りました。 歌舞伎町の有名キャバクラで“No.1”になるということ――10代から地元・横浜のキャバクラでバイトを始め、その後は六本木『エマクラブ』に入店。20歳になり新宿歌舞伎町『プラウディア』でNo.1を獲得。その後さらなる高みを目指して歌舞伎町の老舗有名店『ジェントルマンズクラブ』に移籍したんですね。そのあたりのことを聞かせてください。 愛沢えみりさん(以下、愛沢):『ジェントルマンズクラブ』に入るまでは、私もお客様も「楽しい」ことを大事に接客していたんですが、老舗の『ジェントルマンズクラブ』では在籍している女の子たちの意識が高く、みんなが「売れたい、一番になりたい」とプロ意識を持っていました。それが高じて、水面下では陰口を叩かれたり、面と向かって「嫌い!」と言われたこともありました。 ――まるでドラマの世界ですね。女の戦いの中で辞めようとは思いませんでしたか? 愛沢:ショックでしたけれど、それだけプロ意識があるんだなと、ハッとさせられました。それで、とにかく一番になりたいと孤独に闘い続けましたが、それでは限界が来るんです。毎日出勤、毎日同伴して、そこから売り上げを伸ばすためにがんばっていたんですが、私、実はあまりお酒が飲めないんですね。それで、周りを見渡すと、みんな何人かのグループになり、協力し合ってお客様に応対していた。私だけが、お客様に一対一で接客することにこだわっていたんです。 接客の基本は「相手の立場になって考える」――ある程度の売上になると、何人かで接客する必要があるんですね。 愛沢:そうですね。それからはヘルプについてくれた女の子にも、丁寧に「ありがとう」と言うようにして、少しずつ仲良くなりました。彼女たちも「いつも席に呼んでくれてありがとう。私もがんばるからね」と言ってくれて、なるほど、これが協力関係なのね、と。自分のこだわりをやめて、接客スタイルを変えたから、お店のNo.1になることができたんです。 ――えみりさんの接客スタイルは? 愛沢:とにかく楽しく! 昔は「何を話そうかな」と考えて、沈黙することもあったのですが、器用に出来ないタイプなので、まず自分が楽しもう、と。 それから、「お客様の立場になって考えて、嫌なことは言わない」というのは、常に心がけていました。もし急に難しい話題を振られたり、困ったりしたら、とりあえず笑顔(笑)。そして、売り上げのためにお客さんに無理させるようなことはせずに、「また行こう」と思ってもらえるような雰囲気を作ろうと思っていました。 「妬まれる女」から「憧れの女性」へ――同時に『小悪魔ageha』の専属モデルとしての活動もスタートしたんですね。 愛沢:モデルを始めたら、女性からの反応が増えて驚きました。それまで男性のお客様ばかりでしたので、まさか女の子から「憧れます」と言ってもらえるなんて。その一方で、撮影のお仕事とキャバクラの両立が物理的に難しくなって、だんだんお店に行けなくなってしまいました。 どうにか時間を作って、久しぶりにお店に出勤したら、常連さんが他の子を指名していたこともありました。だけどNo.1はキープし続けたい。辛かった。あんなに楽しかった接客が、全然楽しく思えなくなってしまったんです。だけど、頑張るしかなかった。 結果が出て初めて「頑張ったな」と思う――でも現実的に、頑張っても無理なことってありますよね。
愛沢:私は「出来ない」ということは、「全力で頑張ってない」ことと同じだと思うんですね。結果が出て初めて「自分は頑張ったな」と思うんです。 ――意外とスポ根なんですね! それで「もっと頑張ろう」と思うようになったんですか。 愛沢:はい。そこからは自分との戦いです。お店に少しの時間しか行けない、だけど売り上げを伸ばしたい。矛盾ですよね、本当にきつかった。初めて「キャバ嬢を辞めようかな」と思いました。 ――そこまでしてNo.1にこだわる理由は? 愛沢:プライドです。どのお店でもそうだと思うんですが、No.1のキャバ嬢にはプライドがあります。順位が落ちても、そのまま出勤し続ける元No.1を見たことがありません。 新天地、アパレルへの挑戦――ちょうどその頃、アパレルにも興味が湧いていたんですね。 愛沢:元々お洋服が好きなこともあって、いくつかアパレル会社からプロデューサーとしての依頼をいただいたんです。でも、せっかくだから「自分でいちからやってみよう」と思いまして。そして、とりあえず中国に行ってみたんです。 ――アパレル業界の経験はあったんですか? 愛沢:全くの初めて(笑)。知識があると「中国に行かなくても、日本でも作れる」と思ったかもしれませんが、逆に何も知らないからこそ、普通なら見に行かない場所まで行けたんじゃないかなと思います。 ――「洋服は中国で作ってるからまず行ってみよう」と? 愛沢:そうですね(笑)。最初は市場に行ってみて、素材が何でも揃っていることに驚きました。「ここなら作りたいものが何でも作れる。」と意識が変わりました。 その次に中国に渡ったときは工場の人を紹介してもらい、服の工場、靴の工場と日本の業者を通さず、現地でどんどん人脈を広げました。そして、デザイン画を書いて直接持って行き、サンプルが出来上がると再訪。「ここを直して下さい」と工場の方と押し問答をすることもありました。工場の方が綺麗に作ったと思っても、デザイン画と異なっていることもあるんですね。その感覚の差に一番苦労しました。でも中国は広いですから、作れないものはないですね。 従業員20人を束ねる女社長へ――『ジェントルマンズクラブ』の初期同様、全部ひとりでやっていたんですね。 愛沢:最初は、配送するダンボールの発注も自分でやっていました。ブランドが大きくなるにつれて、ウェブサイトの管理など、今では社員が20人です。 ――今でも社長業に加え、『フォーティーファイブ』でキャバ嬢を続けているんですね。 愛沢:キャバクラは私の原点ですから。時間をどうにか作って、お店に出勤しています。心にゆとりをもってお客さんとお話できるから、今は楽しいです。
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