『リオとタケル』著者・中村安希さん >>【前編はこちら】“おネエ系タレント”だけがゲイじゃない! 『リオとタケル』著者に聞く、日米のLGBT理解の現状と同性婚議論 ゲイのカップルを取材したノンフィクション『リオとタケル』(集英社インターナショナル)。著者の中村安希さんへのインタビュー後編では、一組のカップルの「深いパートナーシップの物語」としての側面について話を伺いました。 世界で生きるには「違う考えがあって当然」と思うこと――本書は、著者の価値観や結論を押し付けないし、あえて答えも出しませんね。「レズビアンは汚い」と発言をした女性を前にしても、中村さんはあからさまに批判せず、なぜその女性がそういう考えに至ったのかを真剣に考えたりする。なかなかこうはできないと思いました。 中村:私は多くの時間を海外で過ごしてきましたが、海外にいると常に自分はマイノリティーだし、自分が信じていた常識が覆されることばかり。断定なんかほとんどできません。特にアメリカのような多民族国家では、こういう考えもあるけれど、違う考えがあって当然というものの見方をしないと、「あなたは原理主義者なの?」と思われます。 そういう見方ができるようになったのも、リオの影響がすごく大きいと思います。彼のクラスには様々な人種や文化を持った人たちがいましたが、デリケートな議論をしていても、リオが中心にいると「とりあえず、みんなの話を聞いてみようよ」とケンカにならなかった。すると「自分はこの件で、こういう傷付き方をしているけれども、反対側には違う意見があるんだ」というものの見方が自然と身に付いていくんですよね。だから、差別的な発言をした女性を前にしたときも、ここにリオがいたらどういう言葉を返しただろうかと考えました。きっと反論せずに、妥協点を見つけ、素晴らしい言葉で彼女を自分の側に引き入れただろうと思います。 ――また、本書には非常に美味しそうな料理の描写もよく出てきますね。 中村:彼らは料理上手で、よくキッチンやダイニングに仲良く一緒にいるんですよ。その姿が本当に微笑ましくて。そういう描写を通して、来てくれる人には美味しい料理を食べさせたいという彼らの人のよさも伝わるだろうとは思いました。 ――セクシュアル・マイノリティーだって、四六時中、性の問題だけに囚われているわけではない。本書がゲイ問題だけにフォーカスしていないのは、そこを伝えるためだったのでしょうか? 中村:当事者の中には、セクシュアル・マイノリティーであることや性的な問題にこだわり過ぎている人も多くて、それだと逆に世間から隔絶されてしまう気もしていて。タケルさんが、「主人公はゲイでも、セクシュアリティーがテーマではない映画が撮られる時代がきてほしい」と言っていました。2人がそういうスタンスだったから、私も取っ付きやすかった。特殊なコミュニティーの中で生きたわけではなく、広く色んな人と付き合い、影響を与えることができた彼らの生き方に、私は惹かれたんだと思います。 ――「おネエ」系の人たちは彼らなりの方法で自分たちの地位や権利を獲得していったわけですが、ゲイという存在が一般的に認知されていない時代から現在まで、「普通のゲイ」はどうやって生きてきたのかを知る機会はあまりありません。そこを知る上でも貴重な1冊だと思いました。 中村:リオたちも彼らなりの方法で、自分たちの存在を一般社会に浸透させたんだと思います。彼らのように普通の生き様を見せることもひとつの手。「こういう普通のゲイもいるんだ」と知って、好きになっていくこともあるわけだから。実際、彼らはそうやって周りに愛されるに至ったわけです。 危機を乗り越えて築かれる深いパートナーシップ――ところで本書の中で、タケルさんが中年の危機を迎え、別の若者に惹かれそうになったことも書かれていましたね。 中村:リオが「タケルに出会う前に、僕はいろんな人と試して遊び回った。だからタケルにも、人生のどこかの時点でそうする権利が当然あると思った」というくだりですね。彼はそういうことをあっけらかんと言うんです。自分の気に障るようなことをされても、きちっと考えて、「自分を開いて待っていれば、きっと帰ってくる」と思ったんでしょうね。 「無条件の愛」だとか、私たちは軽々しく「愛」という言葉を使いますが、愛が試されるのは、自分の思い通りになっていないときですよね。燃え上がる恋愛だけが「愛」だと思っていましたが、それは小さいものだったんだなと彼らを見て気づきました。 ――本書は、「リオとタケル」という一組のカップルの「愛の物語」として読むことができますね。 中村:「深いパートナーシップの物語」です。私は本を通して、リオとタケルをいろんな人に引き合わせたかったんです。こんな素敵な人たちを自分が独り占めにしているのがもったいない気がしたので。セクシュアル・マイノリティーであるかどうか以前に、こういう生き方、哲学を持った人がいると思うと、ちょっと嬉しいじゃないですか。世の中、ギスギスしているし、決めつけも激しいし、許容の幅が狭まっている。そんな中、リオやタケルさんの寛大さは、私が生きて行く上で助けにもなったので。だからセクシュアル・マイノリティーについて書いているという意識はそれほどありませんでした。彼らの魅力はそれだけではないですからね。 |