春らしいポカポカ日和が訪れた3月のある昼さがり、今年35歳になる編集者のAちゃんはこれまでの人生で味わったことのない激しい予感を覚えました。「あ、私、今年結婚するんだ!」 とはいえ、Aちゃんにはもう5年も彼氏なんていません。30歳を超えた頃からすっかり目が肥えてしまって、「付き合ってもいいかも」と思える男性にさえなかなか出会えない日々。でも、その時に感じた予感はあまりに鮮明かつ絶対的で、予感というよりはもはや天命と呼ぶ他ないものでした。 奇跡が訪れる会議室その日の午後、Aちゃんはソワソワして落ち着きませんでした。 自分のデスクでは仕事も手につかないので、パソコンを抱えて誰もいない会議室で原稿整理でもすることにしました。ガランとして無機質な会議室はどんな時もAちゃんの心をフラットな状態に落ち着けてくれるのです。Aちゃんは愛用のMacBook Airと、基礎代謝を上げるために最近愛飲しているマテ茶を抱えて、ひと気のない会議室の扉を開けました。 そして、壁沿いに腕を伸ばし照明のスイッチを押した瞬間……。 豊川月乃先生 そこに舞い降りたのは、モデルスクールを主宰する豊川月乃(とよかわ・つきの)先生。モデルとして華々しく活躍されながら、モデルスクールを全国に開校。今やトップモデルや有名女優から小学生や70代のシニアまで、大勢の生徒を抱えるカリスマトレーナーです。もちろん、豊川先生のレッスンを受ける人の中には結婚式を控えた新婦さんもいます。豊川先生の手にかかれば、誰でも美しくヴァージンロードを歩き切ることができるので大人気。 魔法のようにぴったりなウェディングドレス!Aちゃんも実はこっそり豊川先生の『新郎新婦のためのブライダルレッスン』をネットでチェックしていたのです。 「えっ!豊川月乃先生!?」 「そうよ、初めまして、豊川月乃でございます。よろしくね、Aちゃん」 驚いたことに、そのスラリとした美しい腕には純白のウェディングドレスが。 「さあ、Aちゃん、始めるわよ。これは、あなたのために用意したドレスよ。迷っている暇なんてないわ。柱の陰で早くこれに着替えてきて」 「あ、あああ、はい(柱の陰って……私、一応妙齢の女性なんですけど)」 「Aちゃん、何をモタモタしているの? 私には時間がないの」 ウェディングドレスを受け取り、イスや備品が積まれた柱の陰で着替えるAちゃん。 「月乃先生!サイズがぴったりです!」 「当たり前じゃない。Aちゃんのためにオーダーしたドレスなんだから」 「えっ!本当ですか?!!!うれし?!!!(てか、いつの間に……)」 生まれて初めて身にまとうウェディングドレスにAちゃんは感無量でした。しかも、豊川先生が用意してくれたのは、Aちゃんがこれまで脳内で幾度となくデザインして最終的に辿り着いた理想形、マーメードドレスとAラインドレスを掛け合わせたハイブリッド・ウェディングドレスだったのです。 花嫁の姿勢は、「やりすぎなほど後ろ倒し」 「じゃあ、まずは基本姿勢から教えるわね」 「はい!月乃先生!」 「まずは頭が背骨の上にくるように首を引いて。そして肩甲骨を後ろに引いて胸元のデコルテが開くようにしてください。すると顔が小さく、首が長く見えるの。ここまでが普段にも使える超基本。ここからさらにドレスを着る時は、上半身を後ろに倒すのがポイントよ。ドレスの裾が後ろにふわりと広がっているから、ただまっすぐにピンと背筋を伸ばしているだけでは猫背に見えてしまうの」 「そうなんだー!!! よし! 早速やってみます!」 「もっと後ろに引いて!」 「えっ!もっとですか!? 後ろに倒れちゃいそう」 「これ、やりすぎじゃない?ってくらいでちょうどいいの」 「このくらいですか、月乃先生?」 「初めてにしてはなかなかいいじゃない、Aちゃん。さまになってるわよ。ドレスを着ている場合は、ここまでやって初めてまっすぐに見えるの。かなり背筋が要るから本番のひと月くらい前から筋トレしておくことをおすすめするわ。わかった? ほら、こちらをご覧なさい。全然違うでしょ?」 花嫁修行はまだまだ続く……豊川先生が小枝のようにか細く白い指をパチンと鳴らすと、会議室じゅうの壁が一面、鏡になりました。まるでダンススタジオのようです。 「すごーい!!! 私じゃないみたい!!!」 「そんなこと言っちゃダメよ。この鏡に映っているのは紛れもないAちゃんなんだから。もっと自信を持ちなさい」 「はい!月乃先生! 姿勢を覚えただけでめっちゃ自信出てきました!」 「その調子よ、Aちゃん。あなたならできるわ。じゃあ、次はいよいよヴァージンロードの歩き方よ。涙で視界が曇っても、お父さまがドレスの裾をうっかり踏んづけても、美しく歩き切れる方法を教えてあげるから」 「わ?い!! めっちゃテンション上がってきた?!」 |