カラフルなヘアスタイルと、100キロの体にまとう奇抜なファッション……一度見たら忘れられないルックスに加えて、脳外科医でありながらもファッションデザイナーとしても活躍するという特異な経歴を持つDr.まあやさん。テレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京)や『アウト×デラックス』(フジテレビ)などに出演し、注目を集めています。『中華性力剤』では、そんなDr.まあやさんにインタビューを実施。前編では、医師になったきっかけや、ファッションデザイナーを目指した経緯をうかがいます。 「結婚できないから手に職を」祖母の言葉で医師に――お医者さんを目指したきっかけを教えてください。 Dr.まあや(以下、まあや):3歳から祖父母に育てられたんですけど、小学生の時から家事もお手伝いも一切しない子だったんです。それで中学1年生の時に、「お前はブサイクだし結婚できないだろうから、手に職を持って生きていきなさい」っておばあちゃんに言われたのがきっかけなんです。中学校に入るとスクールカーストがあるのがわかって、クラスの中で自分がどういう存在か、自分の立ち位置が見えてくるじゃないですか。それで、いわゆるアイドル路線は無理だなと気づいて。将来、結婚や出産といった女性としての幸せを望んで生きていくのは厳しいと思わされて、本格的に勉強して医学部へ進もうと思ったんです。部活も中学校までにして、高校では青春を捨ててひたすら勉強することにしました。 ――おばあちゃんのひと言、けっこうヘビーですね。 まあや:言葉だけで聞くと、ひどいおばあちゃんだなって思うんですけど、現実はどういうものなのか、現実の本当の厳しさっていうのを教えてくれたんです。だから私は超リアリズムだと思っているんですけどね。現実を突きつけられたことで、自分がどうやって前に進まなきゃいけないのかを考えるいい機会になりました。これは意外と大事なことだと思うんです。おばあちゃんも老いて先立っていくわけで、この子がひとりで生きていくときに、不憫な思いをするかもしれない、そういう心配のもとに言ってくれてたんでしょうね。 ――どうしてお医者さんという職業を選んだんですか? まあや:祖父が医者っていうのもあります。言葉厳しい祖母に、「お前はバカだから医者になれない可能性はおおいにある」と相変わらず、言われてましたね。だから、もし医者にはなれなくても、手に職をつけて確実にお金を得られるようになろうと。 厳しい言葉をくれた祖母ですが、甘いところは甘くて金銭感覚はゆるかったんですよ。それで「私、贅沢して生きているなぁ」と気づいて。もし祖父母がいなくなった時に、贅沢できなくなるんじゃないか、自分である程度稼がないと自分の欲求を満たして生きていくことはできないじゃないかと思って、医者の道を選んだんです。 Dr.まあやさん ――高校時代にひたすら勉強していたということですが、周りも青春を楽しんでいるわけですよね。 まあや:周りの友達が彼氏を作ったり、仲間でわいわいしたりと青春時代を謳歌していようと、中学から高校までの学生時代6年間か、18歳以降から80歳までの生き方、どっちをとるんだって考えたら、6年間なんてたかが知れている。「18歳以降の苦しさを考えたら6年間の青春なんかどうでもよくない?」って思っていましたね。 ――達観した少女だったんですね。無事に医学部に進まれて、卒業後は脳外科医になられたわけですが、数ある専門科の中でも、脳外科を選ばれたのはなぜですか? まあや:大学1年の時に、たまたま脳外科の手術を見て、「頭を開けれられるのっていいな」と思ったんです。頭を開けられるのは、医者の中でも唯一、脳外科医だけなんです。心臓は動物にもあるけど、高度な機能を持っているのは人間の脳だけ。最も人間らしい場所を診られるのは一番いいなって思うんです。 あと、もし目の前に倒れている人がいたとき、助けられるかどうかっていうのが医者として重要なんじゃないかと個人的に思って。それができるのは、脳外科か救急救命、心臓外科の医者なんですね。医者と言っても専門によって役割はさまざまですが、私の場合は目の前で起きていることを把握して、ちゃんと処置できるようになりたいなと。 医者と並行してファッションの道へ――医者でありファッションデザイナーでもあるというのは、他に類を見ない存在だと思います。これまでのお話だと、猛勉強の末に医学部へ、そして医者になり……と、ストレートな道を歩まれていると感じましたが、いつからファッションの勉強を始められたのでしょうか? まあや:33歳のときです。そのころは医者として大学院で研究をしてたんですが、うまくいかなくなって、教授にめちゃくちゃ怒られて落ち込んで、ぼーっと電車に乗ってたんです。これからどうしよう、って。そんなとき、たまたま目に入ったのが、日本外国語専門学校のオープンキャンパスの広告でした。海外芸術大学留学科という文字を見た瞬間に、留学しようかなって瞬間的に思っちゃって。もともと、ものづくりが好きで、漫画を描いてナースステーションに置いたり、紙粘土で人形を作ってみたりしていたんですよ。なによりも洋服が大好きで、実はファッションの大学にも行きたいと考えていました。 広告を見たその週末にオープンキャンパスに行ってみたら、私が行きたいと思っていた大学にも留学できると聞いて、翌年から専門学校に通い出したんです。昼は学校、夜と土日は当直で医者の仕事も続けながらという1年間を過ごして、ロンドンに留学しました。ロンドンでは、世界三大ファッション大学のひとつである「セントラル・セントマーチン芸術大学」で、ひたすらデザインの勉強をしてました。期間としては2年弱くらいですね。 ――細胞やCT画像などをつかった奇抜な洋服を制作されていますが、これらをモチーフにしようとした理由は? まあや:授業のひとつに、テキスタイル(布地・織物)のデザインがあったのですが、私は好き嫌いの激しい部分があって、洋服でいうと花柄やドット柄が苦手なんです。それを克服するというコンセプトで、そもそも何が嫌いかを考えることにしたんです。 考えていくと、花柄はかわいいものの象徴で、ある種のいやらしさがあると思って。柄自体が「かわいいでしょう?」と主張しているというか……ブサイク代表としてはそれを身にまとうハードルの高さが苦手意識になっているんだろう、という結論に至ったんです。だから、一見すると花柄や水玉だけどよく見ると違う、っていう柄はどうだろうと。「これは私の腹部CTなんです」という言い訳ができるから(笑)。 ――なるほど。 ファッションって自己表現であると当時に、自己防衛でもあると思っているんです。私は残念ながら容姿のコンプレックスが強いので、こういう派手な髪型・ファッションをしているのは、それを穴埋めするためなんですね。突拍子もない恰好していると、女性としての土俵に上がらずに済むから。 私の考えた“CT花柄”もそうで、普通の花柄を着たら、他の女性と勝負しないといけない。だけど、人とは違った洋服を作れば、「私はこっちで生きていくんです」と路線から変えてしまえる。 撮影:Akiko Michishita そんな思いから考えた柄だったんですけど、先生もおもしろがってくれて、ロンドンで生地にしてくれるところを紹介してくれたんです。でも、のっぴきならぬ事情で、結局は帰国してから作ったんですが……。 ――のっぴきならぬ事情とは? まあや:帰国の事情が壮絶なんです。あと3カ月くらい授業を受けてから日本へ帰ろうと予定していたんですけど、ビザの期限が微妙だったんです。そのとき留学を斡旋してくれていた会社から「EU以外の国に行ってからもう一度入国すればビザの延長ができる」と聞いて、イスタンブールに入ったんですけど、ロンドンに戻って来たら入国拒否されちゃったんですよ。ロンドンの情勢が厳しくて。いろんな手続きをしたあげく、次の日に日本に急遽帰らざる得なくなりました。荷物も学校も家も置いたままだったから、本当に大変でした。 |