第8回 料理の味付けをどうするか問題 孤独を感じながらひとりで取る、寂しい食事のことを『孤食』、人と一緒に食事を取ることを『共食』と呼ぶそうです。もちろん、ひとりで食べる食事がすべて孤食というわけではなく、充実や自由を感じながらひとりの食事を愉しめることもありますし、反対に共食に息苦しさを感じる場合もあると思います。 パートナーと共に暮らすことは『孤食』を防げるというメリットがありますが、『共食』ゆえの悩みや問題が発生することも……というわけで、今回は、ふたり暮らしの食事について考えてみたいと思います。 薄めの味付けにしておいて、個々に調整するのが合理的まず食事で一番揉めるのは、なんといっても味付けやメニューへの不満ではないでしょうか。もちろん「作ってくれるのだから、なんでもありがたく食べるべき」というのが正論だとは思いますが、しかし、「作るほうも、もう少し相手のことを考えてあげてもいいのでは?」という事案もあると思います。 以前聞いたのは、「夫は肉料理を食べたがるけれど、わたしは食べないようにしているので、作りたくないし、基本的には作らない」という話で、もちろん健康を気遣ってのこともあるとは思うのですが、肉を食べたいという人が、菜食主義を強制させられるのは、少し気の毒な気がします。 それは極端としても、自分が作り手の場合、味付けは“自分好み”になりがちなもの。その味がパートナーの舌に合わないという場合は、どう擦り寄せるかを考えなくてはなりません。薄めに味付けをしておいて、食卓で個々調整するというのが、一番、合理的だと思うのですが「せっかく健康を考えて薄味にした料理に、後から塩や醤油やケチャップやマヨネーズを足すなんて!」と怒る人もいるんですよね……。 人と暮らすことは“譲り合い”の連続また生まれ育った地方による味の差、素材の差は結構深刻で、味噌ひとつとっても、赤味噌、白味噌、淡色味噌、素材でいっても米、麦、豆とバラエティーに富んでいて、同じ味噌汁という料理であっても、白味噌の味噌汁と赤味噌の味噌汁では、その味わいはまるで別物です。 わたしが以前付き合っていた男性は、「関西では、カレーの肉は牛、肉じゃがの肉も牛、そもそも肉といえば牛」と主張していましたが、豚肉や鶏肉に比べて、牛肉は値段で味の差が出やすい食材。美味しさを求めて、毎食高価な牛肉を料理に使っては、エンゲル係数がとんでもないことになってしまいます。「家計を預かっている身からして、安い鶏肉を使いたい」という実情と「好きな食材が食べたい」という相手の希望を叶えてあげたい気持ちを、どうバランスを取るかが悩ましくもあります。 そもそも、人と暮らすことは“譲り合い”の連続です。かといって、相手に譲ってもらうよりも、自分が譲ったほうが早い……と自分を押し殺したあげく、ストレスが溜まって爆発! となっては、せっかくの楽しいふたり暮らしが台無しになってしまいます。「どちらかが我慢をする」のではなく、きちんと話し合って「どちらも同じ分だけ我慢をする」落としどころを見つけるのが、正解のない『ふたり暮らしの食事』問題の解決方法ではないでしょうか。 |