第9回 30歳を過ぎて友達が減ってきている私 30歳を過ぎた頃から、友人と疎遠気味になっています。30歳を境に、周囲が続々と結婚、出産し、これまでのように会えず、会話の内容も食い違ってきています。新しい友達を作ろうと会社の部下を飲みに誘ったり居酒屋で話しかけたりもしますが、しっくりきません。彼氏はいます。でも、まだ友達とわいわい楽しみたい私はワガママでしょうか。(36歳・会社員) あらためまして、ブルボンヌでっす!中華性力剤読者の皆様、どーもーブルボンヌです〜。連載タイトルに「先生」とか付けていただいてますけど、43歳以下の皆さんよりは「先に生きてる」だけの説教臭いクソババアって意味ですからねー。 って、なぜ急に自己紹介をしたかというと、この第9回からは連載が「語り起こし+修正」から「完全書き下ろし」に変わったのでした。当初は、アタシ自他ともに認めるだらしない人間なので、原稿の締め切りを守らないくらいなら、時間内に編集者さんと会ってお話したのを文章化していただこうと思ったんですよ。 でも、この連載は読者の皆さんの、それなりに人生に関わる相談がテーマ。アタシの嫌いな責任感というやつが、まとわりついてきやがんのよね。普通じゃない目線や毒がまぶしてあるオネエ生しゃべりの微妙なニュアンスって、他人様が文章化するの難しいわなーと思い直し、今回からは自分で書くことにいたしました。というわけで、あらためましてよろしくお願いいたしまっすゥ。 友達って何なのよ!さてさて。「友達」ねー。いきなり冷や水を浴びせるようなこと言うけど、友達ってうさん臭い言葉よね。映画化もされた『20世紀少年』でも、世界滅亡を企てる教祖様が「ともだち」って名前だったじゃない。アタシ、Facebookのアカウントも一応持ってるんだけど、Twitterの転送以外にはほとんど使ってないの。だって、知らない人から「友達申請」が来て、それを「承認」するってホントつらたん……(たん言うな)。Twitterの好き勝手に「フォロー」し合ってる関係性のほうがしっくりくるわけ。 そもそも何をすれば友達なの? お互いのリア充アピール写真に「いいね!」をクリックしてくれる人が友達なの? 終業後に、一緒に居酒屋に行ってウンウンって頷いてくれる人が友達なの? アタシは都合のいい友達なんていなくていいわって、アタシの友達アレルギーが全開になってますけど、おかげでアタシ、「知り合いは多いが、友達は少ない」っていう典型的な人になってます。アタシの場合は、人前に出るお仕事の端くれをやらせていただいてる分、事情は特殊ですけどね。 たとえばたまーにゴールデンタイムの番組に出させていただいたりするじゃない? そうすっと、アタシのマネージャーもしてくれているネンゴロ社長には、彼のお友達たちから「ブルボンヌが出てるね」なんてメールやLINEがたくさん来るんですって。でも、アタシ本人には基本まるで反応なし。そんな時にはちょっぴり寂しくもあるけど、それは仕方ないのよ。アタシ自身がそういう人間関係を選んできたんだから。 いや、ちゃんと何か意味を感じる折にはこちらから誘ってメシノミをして、その時にはしっかり本音の会話ができるヤツラは少しだけどいるのよ。そして、ソイツラのことを、恥ずかしながら言わせてもらうと、アタシはありがたい友達だと思ってる。きゃー恥ずかしい! んでもそんな感覚で会ってるのって数か月、下手したら数年に1回のヤツラばかりだわね(さっきからヤツラとかソイツラ呼ばわり)。 「知り合い」のほうが横モレしないフィット感てなわけで、アタシにとって友達は、会う頻度や回数はたいしたことないけど、会えば何の気兼ねもなく暴言も言い合えるくらいのヤツラ。 で、あとは、それぞれにありがたみやリスペクトや必要性を感じている、いろんな関係での「お知り合い」の皆さんですよ。人は一人では基本、社会生活を送れないもの。孤独を感じてる引きこもりの人だって、実際には人が作ってくれた食料はじめ、多くの他人に支えられ、つながってるわけでしょ。本当に一人で生きている人間なんて、山奥で自分で建てた電気のない小屋で、狩猟採集や栽培などで自給自足してる仙人とかヤマンバみたいな人だけよね(ヤマンバって渋谷に生息してたむしろ群れるタイプじゃなくて、オリジナルのほうね……←念のため補足)。 アタシたちはみんな、孤独気どったところで、いろーんな人とつながって、その中で生きてることは間違いない。そのつながりのうち、「知り合い」以上に、測りづらい感情を伴った言葉である「友達」を、そんな気軽に求めんじゃないわよ、と思うわけ。 自分の孤独を癒すためだけの存在なら…彼氏とだけじゃなく、友達ともワイワイご飯食べたりしたい。ってのは、あなた側の欲望よね。自分の孤独を癒してくれる存在を求めてるんでしょ。 既存の人間関係が、時と共に状況やそれぞれの考え方が変わる以上、永続しないのは当たり前のこと。その上で、とくにご縁の薄まり度が高いと感じてしまうのなら、それはあなたがよほど運がないか、もしくは「同じ職場だから」とかの物理的状況でしか繋がれていない人間関係に頼っていた証拠なのよ。そして、それが変化して失われてきた以上、また新しい「誰かとご一緒する状況」を作るしかない。 とりあえずはお互いが傷を舐め合えるような、とにかく物理的にメシノミを一緒にしたり、同じ趣味の時間を共に過ごしてくれる、新規のコミュニティを作るしかないのよね。同じクラスとか同じ職場、以外にも、今はSNSのコミュニティ、とか、趣味の集まりとか、ほかの集団に自分から身を寄せることはできるはずよ。その場合、相手もあなたという固有の存在に価値を見出してんじゃなくて、お互いの孤独舐め合い要員を欲してるだけって程度の導入部はクールに覚悟しといたほうが、見誤らなくていいかも。でも、そこからちゃんと内側の人間性でつながっていける可能性もあるしね。 どっちにしろ孤独だかんね!ただ、そういう活動で、新規の友達を作ったとしても、今の時点で「友達減ったな。欲しいな」と考えちゃってるようなロンリ子さんが、ずっと心穏やかでいられるとは思えないのよね。でも、SNSやLINEの友達ネットワークが普及した時代は、みんながそんな気持ちに追い込まれがちなんだろうな。 「毎週末が、ソウルメイトたちとのホームパーティ!」みたいな写真をSNSに挙げるのは、本来の用途にピッタリなことよ。でもあれは結局のところ、友達との楽しい時間のみでは満足できず、そんな自分をさらにそこ以外の観客に伝える「友達と楽しく過ごす自分幸せ」確認行為でもあると思う。そしてその見栄はアタシにも十二分にあって、同じことをたまにやっちゃうくせに、こうしてイヤミっぽく表現する程度には、幸せ自慢には、そこへの妬みも表裏一体で発生する恐ろしさがあるわ。友達カードを集めて、カードバトルしてるんじゃないのにさ……(あ、でもオカマ界はレア妖怪メダルだらけ!)。 一生右肩上がりの友達環境なんて作れるわけないんだから、むしろ、「友達はいたらありがたいもの。でもいなくても生きていける、孤独を受け入れる覚悟を持とう」という方向を見ておくほうが良いんじゃない。みんな、孤高のクソババア! その中で一瞬でも心や体が重なり合えたら、それに感謝だよ! |